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NOPPIKINARANAI

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愛車履歴

部屋の掃除をしていたら懐かしい写真が出て来た!

私の人生で一番無理した出来事だった車(笑

20代の中頃、1年半だけですが乗っていた。

当時は会社員で社長の秘書と言う肩書きだったが実態は運転手であり雑用係。

早朝に社長宅に迎えに行き、酒宴の多い社長の運転手として夜中まで拘束され何も予定がない夜も先輩方の手前21時過ぎまでは会社に居るような数年間だった。

内勤時は社報(新聞)をPC(一太郎だっかな)で作ったりwinで会議用の資料の作成(主にハブシステムの簡単な図案)なんかをやっていた。

トラックを多く所有する会社だったので当時から問題になっていたディーゼル車の排気ガス問題
天然ガス車の導入や社員への解説、60台程のトラックの管理(消耗品のサイクルや車検等)もやっていて帰ってからも寝ないで仕事をするような日々。

休みの日も仕事をしたり寝たきりのような生活で少ない給料でも使う暇もなく貯金だけは貯まった(笑

そんな時に家の車の入れ替えと重なり車を売ったお金と父からの援護で清水の舞台からバンジージャンプする勢いでこの車を手に入れた(バンジーはした事もないし家業もまだ良かったしローンだし)

新古車だったがディーラ—物で信頼の出来る車屋さんだったのも大きい。

当時ポルシェの神と言われた故ポール・フレールさんもポルシェは若いうちに乗る事が望ましいと言ったとか言わないとか。。。兎に角このチャンスを逃したら一生乗れない車かもしれなかった(現状はもう乗れないですしw)

試乗させて貰った時は度肝を抜かれた。
第三京浜を走るのだが道路の継ぎ目でハンドルが浮くような感覚
フワンとしてハンドルが動くのである。
リアエンジンで前に重い物がないのでハンドルがフワフワとしておっかなくてとてもじゃないがスピードを出すなんて気にはなれない私。
保土ヶ谷のSAで車屋のOさんに運転を変わってもらい折り返しの道。
Oさんはいとも簡単と○00kmを出してみてくれた。(若い頃の話で若気の至りなんで時効って事で許して下さい)
「大丈夫です。スピードが増すと安定するんです」と。。。
もう気持ちは決まっていたが駄目押しされ晴れてポルシェのオーナーになったのだった。

スピードを出したい時は夜中の○関道へ
成○付近から先は他の車が走ってない事が多かった。
メーターで○50kmも出すと高速のゆるやかな道も大きなカーブになるようなスピードでそれは恐ろしい。
自分で車が制御出来なくなるリミットを垣間見た気がしたな。

首都高では汐留から芝と繋がるアップダウンとコーナーが連続する先は右のカーブになる。
微妙な上がり傾斜でブレーキを掛けても前に荷重が掛からずすっぽ抜けたようなアプローチになる。
そこが苦手で何周も練習するのだが経験が少ない私はどうにも上手く曲がれない。
どんどん攻め込んで行くと最終的に車はスピンする。
そこで死ぬような思いもするも車はクルッと回るだけで無傷
何事もなかったように再び走り出すのである。
リアエンジンで回転軸がリアに集中しているのでコマのようにその場で回るだけ。。。
まったく良く出来た車と言うかヘタクソには大きなダメージも与えない車なのである。

箱根の峠では夜中に謎のトレーラーが30kmくらいで山を上がって行く(自衛隊なのか三菱とかの軍事車両を運んでいるかこんな所を通るなよってトレーラーが頻繁に走っている)
沼津方面から大曲りを上がって山にさしかかると直線と呼ばれるような道はなくなる。
飛ばしたい私は無理な追い越しをかけると対向車が見えたりする。
時にはそのままスピードを上げて追い越しにかかる。
ポルシェのダッシュ力(トルクの塊で低回転からスピードが乗りリアエンジンの特性でパワーが無駄なく路面に伝わる)でなんなく追い越せる。
しかし一台のトレーラーを追い越すと、前にも同じトレーラーが連なっており入るスペースが無い。。。
そこでフルブレーキで反対車線の路側帯に逃げたり。。。(これもポルシェの強力なブレーキが成せる技であった)

まあ兎に角素晴らしい車なのである。
では完璧な車か?と言われればまた違った部分もある。
エアコンはバリバリに効くのでデートカーとしても最高!
気分良く助手席に意中の女の子を乗せてドライブ(飛ばしませんよ)
もう自分は映画の主人公な気分でウキウキドライブしていると女の子がヒャッと悲鳴をあげた!
どうしたかと思うとダッシュボードの真ん中下、センタートンネルの部分から湿気を除去したエアコンの配水がカーブの時の横G(遠心力)で受け皿からこぼれ女の子の足にかかったのである!
これは後に私自身も経験するが車に乗ってる最中に突然足に水をかけられる驚きと不快感ったら無いのである。。。

そういった部分はあくまでスポーツカーでありドイツ車
国産の車のような完璧な感じはないが完璧で抜け目無いというか人間と一緒で愛嬌といいますかね。
何より車で速く走る事に関しての妥協は一切無い
クラフトマンシップという職人気質が生きていた車なのである。

まだまだ様々なエピソードがあるがキリが無いので(笑
最期は売ってくれたOさんが別のお客さんがこの年式、色と装備で長い事車を探されてると打診してきた。
私も気に入っていたが1年半乗ってみてこの車は私には出来過ぎた素晴らしい車で本当の性能を発揮させる技術も度量もなかったのである。
散々無茶したが大きな事故を起さなかったのも車の良さで私ではこの車が大破するような領域に追い込めなかった。
それを見越したOさんも「もうわかったでしょ?君には勿体無い車だよ」って感じで次のオーナーを見つけてきたのでは無いかと思えるような気がした。
私がこの車を壊したのはただ一度、低速で歩道と道路の境目の縁石に擦っただけであった。
他は駐車中に上から何かが落ちてきてリアフェンダーが凹んでいたのと、関越道で並走していたトラックの荷台から強風にあおられたバケツがボンネットに落ちてきただけであった。

そして1年半乗ったポルシェは買った値段から150万程安くOさんに買い戻され次のオーナーの元へ
その間3万キロ以上は乗り倒したので150万の差額はかなりの良心的値段だったと言えよう。
月割りするとでかいけどね(笑

愛車履歴_a0175545_17262740.jpg

当時は走る事に夢中だったし写真に興味がなく、これ1枚しか写真がなかった。
by ya-bi-tu | 2011-10-20 20:10 |
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不言実行をモットーに掲げる童心の中年日記


by やびつ
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